院長の研修日誌
- 大地 戸叶
- 9月14日
- 読了時間: 20分
更新日:9月21日

総合病院での研修の様子を小説風に書いてみました。 私の治療姿勢を決定づけたエピソードの数々をご覧ください。
1.洗礼と脱皮
二年目に入り、怒濤の病棟研修が始まった。
初めて担当した患者さんが亡くなり、ショックを受けていた僕を、新田先輩が飲みに誘っ た。
「どうした。いきなり洗礼を受けたか?」
「ドクターとナースが何をしてるのかも・・・、何が起きてるのかも分かんないうちに患 者さんが亡くなっちゃって・・・、なんの役にも立たない自分が情けなくて」
そう言いながら、プツプツと弾けてはしぼんでいくビールの泡を僕は見つめた。
先輩はビールを一気に飲み干して、自問自答するかのように言った。
「患者に死なれたら、鍼灸師はびっくりするよな。自分の仕事と人の死がリンクしている なんて、考えたこともないんだから」
「しかも、そこで何の役にも立たないって、ショックだよな」
「・・・」
「ここの研修生はみんなその洗礼を受けて、仕事に対する意識が変わるんだよ。それまで のように現代医学を批判したり、否定したりできなくなるし、自分が治療して大丈夫かを 真剣に確認するようになる。」
「治療して大丈夫かを確認するって、どういうことですか?免許を持っているんだから、 治療するのは当然でしょう」
「ここで数年学ぶと、患者が語らない病気にも気がつく。時には医者の見落としや、誤診 も見えてしまう。そうなると、患者にとって何を優先すべきか自然に考えるようになるっ てことだよ」
「???」
「あのな、これまでは、鍼灸でダメなら整体だ、マッサージだ、電気かけだってラインナ ップで選んでいたろ?」
「はい、それしかないので」
「でもな、これからは、患者に何が起きているのか分かるようになるから、鍼だけでなく 医療機関のサポートもその選択肢に入ってくるんだよ」
「でも、田舎じゃ医者は鍼灸師なんて相手にしませんよ」
「それは、相手にされるレベルに達していないだけだよ」
「医者は、責任を果たすのに協力する人なら、拒んだりはしない」
「そう言うモンなんですか」
「医者の責任感って、そう言うモンなんだよ。いずれお前にもそうした医療者の責任感が 芽ばえてくるよ」
「分かりました。がんばります」
そう返事したあとで、田舎で開業していたときの失敗が次々と頭に浮かび、あそこに戻ら ないためには、この洗礼を受けないといけないんだろうなと思った。
2.人の診断を鵜呑みにするな
カンファランスで同僚の吉山が代田先生にアミトロがどうのと報告している。
僕は何のことだかわからず、隣りにいた新田先輩に小声で尋ねた ....
「先輩、アミトロって何ですか」
声を潜めて先輩が言う
きんいしゅくせいそくさくこうかしょう
「動けなくなる難病だよ。筋萎 縮 性側索硬化 症 。略称ALSだ」
思わず大きな声が出た
「え?そんなの鍼灸に来るんですか」
先輩は慌てて
「声がでかい。先週吉山が代田先生に相談していたろ。自分が担当している患者の前医診 断が違う様だって」
またしても驚いて
「え、吉山そんなこと判るんですか」
「ああ、代田先生褒めてたぜ。よく気が付いたなって」
「すげーなーあいつ。いつの間に神経難病の勉強したんだろう」
「神経疾患は、最初から正しい診断にたどり着くことは少ない。前医が誤診している可能 性は常にある」
「変だなと思ったら、納得いくまで追及を諦めちゃいけない。鍼灸師だからと言って誤診 の責任はまぬがれないぞ」
誤診の責任を鍼灸師も取るの?
緊張しながら代田先生の話に集中した。
「常に患者を観察していれば、よく診る疾患との違いに気付ける。病名がわからなくても、 その時点で医者に相談すれば上出来だ」
「なーんだ、吉山は変だと声を上げたから褒められたのか。神経難病を見抜けって言われ てるのかと思った」
僕の独り言に先輩がすかさず突っ込んできた。
「神経疾患は経過と身体所見で当りを付ける。患者と接する時間が長い鍼灸師が気付く可 能性は高い。『前医の診断が付いてたから、疑わずに治療していました』では済まされな いんだぞ」
「でも、前医診断に異を唱えるのって、間違った時のリスクを考えると躊躇しませんか?」
「ばか、お前が間違っても何のリスクもねェよ。それより患者の安全だろ。どんどん恥を かいて、誤診に気付く勘を養うんだよ」
「病気は山ほどあるし、どうやって医者の診断を疑えるほどの、力を付けたら良いんです か?」
「古参の看護師の方が、新米医者より色々知ってるって聞くだろ。数かけて診ていけば、 だんだん身につくよ」
「そんなモンなんですか?」
「そんなモンだな。先ずは目の前の患者に集中することだな」
人の診断を鵜呑みにするなって言うけど、簡単な話じゃないぜ。
責任重いナーと僕は不安になった。
3.検査結果を疑え
「これ、どこが悪いか判るか」
代田先生が会議室のシャウカステンに胸のレントゲン写真をかざした。
研修生が一斉に写真の前に顔を突き出して、白黒の陰影が発するSOSを探し始めた。
胸の写真はとりわけ読むのが難しい。
代田先生が
「判るか?」
と聞いて来た時点で簡単じゃないってことを先輩達は知っている。
だから、誰も発言しない。
無理だなと見切った先生が次の写真を出した。
「一ヶ月後の写真だ」
今度はみんな一斉に、左肺野に点在する五センチ大の丸い斑点を指さした。
「これは誰でもわかるよな。じゃあ最初の写真のどこに癌が潜んでいたか判るか」
またみんな写真に眼をやり、癌と思しき小さな白い斑点を探すが、正常組織の影と区別な んかつかない。
先生が写真を手にとって斜めにして見せた。
「こうしてみると、見えないものも見えるんだ」
「ほら、ここ。心臓の影に隠れた癌が二つ見えるだろ」
「えー!そんな見方ありなんですか?」
思わず口をついて声が出てしまった。
「ああ、こう言うのを神眼で見るって言うんだ」
「薄い影は、斜めにすると濃くみえるからな。できるやつはここまでやるんだよ」
鍼灸師にそこまで求めるの無理なんじゃねェ?
でも、「神眼」 かっこいいなー。
なんて思っているウチに
「今度は肋骨骨折の写真だ。どこが折れてるか判るか?」
立体構造を平面に撮るので、肋骨の影が重なって、どれもこれもが骨折線に見える。
何とか一矢報いたくて、ああだこうだと言い合ってる僕らに、先生が一言。
「映ってねェよ」
??
「肋骨が折れるのはカーブの頂点が多い。だから正面写真では角度が悪くて映らない。患 部を特定して、骨折線が映りやすい角度を指定ないと分からないんだ」
「神眼じゃなくて神の手が必要ってことか」
と分かった風な独り言で悦に入ってると
「ばーか、叩打痛が診れるぐらいで神の手なんて言わねェよ。検査結果も疑う余地がある って話だよ」
と先輩が突っ込んできた。
「そんなこと言ったら、何も信用できないじゃないですか。ひょっとして患者の言う事も 信用するななんて言わないですよね」
と言い返したら、先輩がニヤッとして言った。
「名医になるにはな、患者のウソを見抜く眼と、異常を嗅ぎ分ける嗅覚も必要なんだよ」
「神の鼻も要るってことですか」
と返したら
「まあな」
と、僕の突っ込みをいなした先輩が、驚くことを言ってきた。
「獣医の診断を疑った代田先生が、飼い犬の尿を自分名で病院の検査科に出したら、糖尿 だったってさ『やっぱり俺の勘が当たった』って、笑ってたよ」
名医おそるべし。
飼い犬の誤診まで見破るのか。
僕はとんでもない人の下で勉強してる んだと思い、身震いした。
4.病気の背景を考えたか?
「ご―ごーごー」と死線をさまよっている患者の呼吸音が集中治療室に響く。
「ピ―ッ ピ―ッ ピ―ッ」モニターの作動音がそれに重なる。
僕は代田先生と、固唾をのんで患者の様子をうかがっていた。
仕事中に脳出血で倒れ, 救急搬送されてきた松田隆さん五八歳だ。
一通りの検査が終わり、集中治療室で点滴治療 を受けている、意識はまだ回復しない。
「今入れてるのは降圧剤と止血剤。それにマンニトールと言って脳のむくみを抑える薬だ」
「今出来ることはここまで。あとは出血が早く止まって、脳の損傷が少なくて済むことを 祈るしかない」
「血圧が安定して呼吸と心拍数とが落ち着いてくれば、山を越したと言えるが、それまで は何が起こるかわからない。まだ血圧も高いし、脈も速い、呼吸音も大きいので予断を許 さないな」
全てが初めての経験で、声も出せないでいる僕に、今起きている事を、細かに代田先生は 説明してくれた。
明け方になり、松田さんの呼吸が静かになり、血圧が下がり始めた。
どうやら落ち着きそ うだと判断して、僕は部屋に戻った。
二日後、松田さんは意識を取り戻し、三週間してリハビリ病棟に移った。
半年後、僕は松田さんの退院時報告を読み上げていた。
「所で、松田さんが、何で脳出血を起こしたか分かるか?」
代田先生が、僕のプレゼンが終わるのを待って聞いてきた。
「え?血圧が高かったからじゃないんですか。CTでは動脈瘤は無かったと思うのですが」
「お前、看病してたのが八十過ぎた母親だけだったのを、変だと思わなかったか?」
「そう言われれば、、、」
「退院前に奥さんと息子を青森から呼んで話をしたが、離婚話が持ち上がっていて、松田 さんは単身赴任で東京に来ていたんだ。息子は今医学部の三年生だ」
「・・・、」
「加藤先生、いつか奥入瀬渓流を見に遊びに来てね。俺案内するから」
そう言って退院を喜び合っていたのに、松田さんが置かれている境遇や悩みについては、何にも聞き出せていなかったんだ。
東北人のよしみで、心を通じ合わせていたつもりだったけど、僕は、世間話の相手に過ぎ なかったのか、、、。
何やってたんだろうな、この半年。
「半身まひが残っていては、元の仕事には戻れないだろうから、ソーシャルワーカーに頼 んで、会社と交渉してもらっている」
「まだ定年前だからな、母親のサポートを受けながら、何とか生活できる道を探らないと な」
さらりと代田先生は言葉を添えた。
代田先生は松田さんの病気の背景に僕が目を向けるのを、最後まで待ってくれていたんだ と分かると、脳出血の全経過を報告して誇らしく思ってた自分が、恥ずかしくなった。
5.権威は診察の邪魔だ
代田先生の内科外来は、他のドクターの倍の患者が押し寄せる。
東洋医学を熟知する医師として、国内外に名を知られた存在だ。
マスコミの取材も多い。
研修二年目はその外来の助手も務める。
怒らないし、見捨てない。
治すためには漢方でも鍼灸でも使うので、頼られて患者が減らない。
見学に来た精神科の医師が、『自分の外来より凄いのが来ている』と称するぐらいの患者 たちが、言いたい放題のことを口にする。
精神的に危ない患者には、「いつでも電話をして来い」と言い渡しているから、外来診療 の途中でも電話が鳴る。
ほとんどがグダ話しだ。
先生はいつもの乱暴な口調で、適当な受け答えをして電話を切る。
そんなんだったら、外来中に出る必要あるのか? そう思っていた。
あまりの忙しさに、
「電話は、僕が受けておきましょうか?」
そう尋ねたら、先生は飄々と言った。
「いや、構わない。どうせ片づけなきゃいけないから、来る順番にこなしていくのが一番 だ」
こうなったのも自分が蒔いた種だ。と思っているのかもしれない。
日頃から先生は「威張るな」と僕らに注意する。
診察に権威は邪魔なのだという。
患者が何でも話せる雰囲気を作らないと、病気の本当の原因を見つけ損なうのだそうだ。
後に僕が再開業したとき、決まって休みの日に電話を掛けてくる患者がいた。
「今日は定休日です」
と答えると、
「ちょっと流行って食えるようになったら、死にそうな患者を見殺しにするのか」
と、冗談交じりに絡んでくる。
しばらく雑談に付き合うと満足して電話を切ってくれるのだが、このやり取りは定期的に 続いた。
患者さんは、不安神経症だった。
休みの日にも僕が応対してくれるのを確かめて安心して いるのだろう。 代田先生が必ず電話をとっていたのは、この為だったんだなと思った。
6.死の受容
『本当にアスペルギルスか?』 僕の目に飛び込んできたのは、あの穏やかな本田先生がカルテに記した、告発ともいうべ き一言だった。
「えっ、武田先生の診断間違ってたの?」
副院長が診ていた患者を引き継いだ本田先生が、これだけあからさまに異を唱えるなんて、 尋常じゃない。
僕は眼にしてはいけないものを見たんじゃないかと不安になった。
先輩が言ってたことは本当だったのか。『武田先生が診ると助からない』って。
武田先生が来ないかヒヤヒヤしながら、これまでの経過を読んだ。
患者は、肺感染症の疑いで一カ月前に入院し、武田先生が真菌症の一種、アスベルギルス と診断して治療したが、悪化して本田先生に頼んだ事がわかった。
本田先生は次々と検査をオーダーした。
「何を疑っているんだろう?」そう思いながら、病名が判明する日を僕は待った。
『ガフキー10!!』 赤ペンでカルテに殴り書きされた二本のビックリマークが、本田先生の憤りを表わしていた。
喀痰から結核菌が大量に検出されたことで、武田先生の誤診が確定し、患者は結核病棟に 隔離された。
誤診の原因は、起炎菌の同定なしに、レントゲン写真の印象だけで真菌症と断定した事だ った。
そんないい加減なことをするんだ。と驚いた。
間違った治療で結核は相当に進んでいた。
遅れを取り戻そうと、本田先生は昼も夜も患者さんのベッドに通って献身的に治療した。
僕も患者の頭痛を鍼治療で担当する事になったが、時すでに遅く、ひと月ぐらいで亡くな ってしまった。
葬儀が終わって落ち着いたころ、奥さんからこう聞かされた。
「主人は武田先生を恨んでいました。『自分はもうダメだ。でも、最後に本田先生に尽く してもらえて、これで死んでも本望だ』と言って亡くなりました」
と。
仁術と呼ばれる医療とは、こういうことを言うのかと思った。
誤診で死にゆく患者の恨みを消し、死を受容させる本田先生の献身的な行為は、まさに『神 のなせる業』だった。
医療で救えない命もある。
でも、その人を大切に扱うことで、人の心は救われる。
それは、不確かな医療を行う上で、忘れてはならない大前提だと、僕は本田先生の背中で教わった。
7.こんな死なせ方あるか?
後輩の村田さん(後のマミちゃん)を伴って、心不全で入院している渋谷さんを、夜勤と 交代の時間帯に回診したときのことだった。
去痰用の吸入器が外れかかっていたので、それを元に戻そうとして、渋谷さんの様子がお かしいことに気がついた。
「渋谷さん、分かりますか?渋谷さん」
肩を叩いて呼びかけたが、眼が裏返って返事がない。
まずい、意識障害だ。
呼吸もしてない。
僕はナースステーションに飛び込んで助けを求めた。
「渋谷さんが急変しました!」
当直のナースが、すぐさま救命機材を両脇に抱え、モニターを足で蹴り飛ばして病室に駆 け込んだ。
呼びかけに応答しない、血圧が低下して測れない。
「浦部先生どこ?」
ナースが叫ぶ。
「どこにいるのか連絡が付きません」
もう一人のナースが答える。
「当直の先生呼んできて!」
言われたナースが応援を求めて、病室を飛び出した。
すぐに産婦人科の婦長と外科部長が駆け付けた。
ドクターが気管挿管をして、アンビューバッグを取り付けた。
婦長は、患者の体の下に蘇生板を敷いて、鬼の形相で胸を思い切り叩いた。
バッチーン!!
そこから心臓マッサージが始まった。
バキバキ バキバキ 胸を押すたびに、折れた肋骨が音を立てる。
「お前、ナースが三十回胸を押したら、これで空気を二回入れろ」
ドクターは、僕にアンビューバッグを渡して、強心剤の準備を始めた。
生まれて初めての人工呼吸だ。
「一、二、三、四」
緊張しながら心臓マッサージの回数を数える。
「二十八、二十九、三十」
今だ。
アンビューバッグを押しつぶす。
ん?入らない。
満身の力を込めてバッグをつぶすが、思うように空気が入っていかない。
僕は何か間違いを犯しているんだろうか?
全身に鳥肌が立った。
助けを求めるように僕は叫んだ。
「先生、空気が入りません」
「いいから続けろ」
ドクターが怒鳴る。
「はい!」
僕はプルプル震えながら、心臓マッサージのタイミングに合わせて、必死にバッグを押し 続けた。
挿管した管から水が出てきた。
何が起きてるんだ?
ドクターの合図で、婦長が渋谷さんの胸から手を離した。
ドクターは肋間を指で探り、一瞬の気合いと共にズブッと心臓めがけて注射を刺した。
押し子を少し引いたら、一気に真っ赤な血が注射器の中に入ってきた。
「よし」
針が心臓に達したのを確認して、ドクターは薬液を注入した。
直接心臓に注射するんだ僕はのけぞり、マミちゃんは気を失いかけた。
モニターを確認するが、心臓は動かない。
救命措置が続けられた。
「家族には連絡したか?」
ドクターがナースに尋ねた。
「はい、奥さんがこちらに向かってます」
「あとどのぐらいで病院に着く?」
「二十分ぐらいかと思います」
ドクターはすでに見切っているようだった。
「家族の到着までは救命措置を続ける」とスタッフに告げた。
ほどなく奥さんが駆け付けた。
五分ほど措置を続けたところで、ドクターが措置を中止させ、聴診器を胸に当て、ペンライトで瞳孔の反射を確認し臨終を告げた。
固唾を飲んで見ていた奥さんが、わーっと声を上げて患者の胸に泣き伏した。
スタッフは、黙礼してから静かに片づけを始めた。
ドクターと婦長は、遺族の心情を思って見守っている。
と、そこに、酒に酔って顔を真っ赤にした主治医が入ってきた。
遺体にすがって泣いている遺族の前で、ただ茫然と立ち尽くしている。
勤務時間は過ぎていた。
酒ぐらい飲むだろう。
顔が赤くなるのは体質だ。
心不全の末期だったから、これは仕方がないのか? でも状況からして、患者は肺水腫で窒息しているんだ。
去痰用の吸入は、処置が違うんじゃないのか?
患者さんも家族も、こんな最後は望んでいないはずだ。
本田先生なら、患者が不安定なときは病院から遠くには行かず、すぐに連絡が付くように している。
代田先生なら、余命を正確に読み、苦痛のない最後を演出していただろう。
逝く人、見送る人、どちらも大切に扱う姿を、代田先生も本田先生も僕達に見せて来た。
医者の仕事ってそういうもんだと。
赤い顔をして立ち尽くしている浦部先生の姿が、僕らの胸にずしりとのしかかった。
8.医療は辛いよ--やらかす人達
「糖尿病で入院中の稲毛さんの話、聞いた?」
ナースが出払ったステーションで、カルテを書いていた僕に、奥野先輩が話しかけてきた。
「あの、代田先生の言う事を全く聞かず、足の指が真っ黒になって、眼も見えなくなって、 透析間近で、脳梗塞も起こした、糖尿病合併症の見本の婆さんですね」
「まあ、そうなんだけど、その息子も問題なのよ」
奥野先輩は、ナースが戻ってくるのを気にしながら、話を急いだ。
「息子がどうかしましたか?」
「母親の毛という毛を、全部剃っちゃったのよ。しかも、日本酒で清めて」
そう話す先輩の目が笑ってない。
「毛って、、、あそこも?」
「そう、髪の毛も、眉毛も、脇毛も、あそこもぜーんぶ。」
「なんでですか?」
「邪気払いだってさ。しかも、母親のために、ベッドのそばで瞑想してるんだって」
「母親は嫌がらなかったんですかね?」
「頭つるつるにされて、嬉しそうにしてるって、担当ナースが言ってたよ」
「なんかの宗教ですかね?」
「単純に、親子して頭おかしいんじゃないの」
「やっぱりその線ですか・・」
「医者が言ったことが、次々と自分の身体に起っているのに、未だに親子して、お清めだ の瞑想だのって言ってるんだから、医学なめてるでしょ」
奥野先輩は語気を強めた。
女の人はまじめだから、医者の言うことを聞かずに悪化した患者は、許せないんだろうな。
9.はしゃぐ心不全
困ったちゃんつながりで、僕は聞いた。
「あの、、心不全の患者さんって、ちっとも言う事を聞かない印象があるんですけど、先 輩もそう思いませんか?」
「たとえば?」
「岡田さんは、虫の息で入院してきたのに、回復すると変にはしゃぐんですよ」
「代田先生に叱られても平気で、退院して一週間もしない内に、また担ぎ込まれてくるんです」
「渋谷さんも、やっと身体のむくみが取れて退院したと思ったら、すぐに戻ってきちゃう」
「何やったんだ?って聞いたら、足が萎えると良くないから、婆さん従えて、冬の歩道橋 を何度も上り下りしたっていうんですよ」
「代田先生に『おとなしくしてろ』って言われてたのに、馬耳東風なんだよね」
奥野先輩が、今度は静かな口調で言った。
「心不全で身体がむくんじゃったら、ちょっと休んだぐらいでは良くならない。だから長 い安静が必要」
「でも、長く寝てると足も萎えるので不安になる。『寝たきりになって死んじゃうんじゃ ないか』ってね」
「すぐには死なない疾患の患者は、グダグダしていられるけど、突然死ぬかもしれない患 者は、逆に明るく振る舞っちゃうんだよね」
三年も勉強すると、そこまで読み取れるようになるのかと僕は感心した。
「代田先生は、話し方は乱暴だけど、聞き分けのない患者でも決して見捨てないからね、 それはスタッフも分かってて、面倒な患者の世話を粘り強くやってるよね」
「何で代田先生は怒らないんですかね?」
「懐が深いんでしょうね。無為自然って言うか、人は人って割り切ってるって言うか、お かしな奴ほどおもしろがってる様子もあるわね。私たちのような鍼灸師を二十人も囲い込 んで面倒見てるのよ。変な事言う患者なんか可愛いもんでしょ」
確かに--
最後の一言が妙に腑に落ちた
10.鍼麻酔のカルテ
「なんだこれ?」
資料室を片づけていたとき、ひと箱の段ボールが出てきた。
中には、黄色く色あせたカル テの束――表紙には「鍼麻酔の記録」とあった。
「本物…か?」
緊張しながらめくっていくと、卵巣摘出、帝王切開、甲状腺腫摘出…。
「本当に鍼麻酔で 手術したのか?」
指が震えだした。
やがて赤ペンで「good」「very good!」そして「excellent!!」の殴り書きが出てきた
「成功したんだ」
興奮しながら新田先輩のもとへ駆けた。
「先輩、鍼麻酔のカルテが…!」
「ああ、あれね。俺も以前見たことがある。すごいよな」
「先輩は関わってないんですか?」
「俺が入る一年前に終わってた。でも代田先生が学会誌にまとめてたぞ」
調べてみると、1979 年の『日本鍼灸治療学会誌』に掲載された、「鍼麻酔による手術 366 例の分析」という論文にこう記されていた。
鍼の効き方には個人差が大きい
- 鎮痛・安定剤を併用すれば、その差は埋められる
- 皮膚表面と鼻や歯の鍼麻酔は効きやすい
- 手術で、ものを引っぱる時は、ゆっくりやる必要がある
- 丁寧な術式により、術後の腫れや痛みが減少する
「先輩、代田先生から鍼麻酔のこと教わりました?」
僕は興味津々で、翌日も新田先輩に話を聞いた。
「うん、普通の手術は、術後に腫れや痛みがでるんだけど、鍼麻酔だとそれがあんまり出 なくて、回復も早いんだってよ」
「何でですか」
「鍼麻酔だと雑に扱うと痛いから、どうしても丁寧な術式になる。その分組織の損傷が少 なくて術後の経過が良いんだな」
「痛くないからって乱暴に扱っちゃいけないって事ですね」
「まあそうだな」
「貴重な実験ですよね。よく400例近くもやれたもんだなー」
「ああ、『中国人に出来て日本人に出来ないはずはない』って頑張ったらしいよ。でも、 後で中国に行ってみたら、事前に薬も使ってたって笑ってたよ」
「限界まで挑戦したから言える事ってありますよね」
「ああ、とにかく、条件を整えれば鍼は手術が出来るぐらいの鎮痛効果を出せるってこと が分かったよね」
代田先生の鍼に対する気迫を感じ、自分はここまで効果を突き詰めることが出来るだろう かと、怖くなった。
11.五年の病院研修を終えて
病院という場で人の死に向き合い、“鍼灸師”の無力と医療の責任の重さを僕は実感した。
医療を乱さず、医療と連携できる鍼灸師をめざし、 どこまで診て、どこで託すのか。
何に対し、どこまで責任を負うべきかを、問い続けた。 診断力、判断力、慎重さと謙虚さ。
それらすべてを、医療の現場で教えてもらった。
そして何より、
「信頼を得る大切さ」
を、 患者さんの命を掛けた真剣なまなざしから学んだ。
これでようやく、再開業の準備が出来た。
医師の診療時間内で、疑問や不安を解消できない患者のサポートをしよう。
言いたいことが言えない人のSOSに気づける治療者になろう。
身体だけでなく、心や生活の問題にも手を差し伸べよう いつ来ても技と知識がアップデイトされている治療院を創ろう。
患者にとって現実的に助けになる答えを探せる治療院にしよう そう心に決めた。
「さあ、米沢に帰るぞ」
%20(1).png)
コメント