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僕を鍼灸師にした、父の戦略

  • kazzh14
  • 11月4日
  • 読了時間: 16分

更新日:4 日前




1. 遊びが修業の始まり


「サト、ミズ、鍼刺してみねが?曲げねで刺せたら大したもんだぞ」

そう言って父は僕らを鍼の世界へ誘った。


始めは硬いスポンジの枕に鍼を刺すゲームだった。

姉と夢中になって競い合った。最初は太い鍼なので難なく刺せたが、次第に細くなり、

ついには髪の毛と同じぐらいになった。

父は


「信じられない。なんでお前らそんなにうまく刺せるんだ」


と驚いて見せては、最後にシレッと難しい鍼を刺して、僕らが悔しがるのをおもしろがっていた。

小学生の瑞穂君とお父さんがお庭の前で写ってる写真
小学生のころの瑞穂君

中学に入ると、父は僕らに人体の構造を教え始めた。


「いいか、あばらの間から鍼が肺に刺さらないように、向きと深さを確かめて打つんだ」


そう言って安全な鍼の打ち方を丁寧に教え込んだ。

そんな怖いことを聞かされた後に


「父ちゃんのからだに鍼刺してみっか?」


と促され、

ドキドキの体験をさせられた。

父はいつものように


「全然痛くない。お前ら天才だ」


と大げさに褒めた。



2. 母の手から学ぶ触診


一方母は、僕らのからだをよく揉んでくれた。

母の指はまるでセンサーのようで、からだを触りながら微妙な変化を察知し、

それに合わせて次々と手技を変えて治すスタイルだった。


父はいつも、


「マミちゃんに触ってもらうと、全身スキャンされてるみたいに

悪いところがわかって勉強になる」


と感心していた。


かくして、僕も人のからだを触るのがおもしろいと思うようになっていった。

ある日、学校の先生の肩を揉んであげたら評判になり、

いつの間にか職員室で、いろんな先生の肩揉みをするようになっていた。

(嫌いな先生の「肩凝ったなー 」サインは無視したけどね)



3. 深みにハマる


高校になると、「ミズ、ぎっくり腰になったがら治療してけんにが?」と父は、

腰の治療を母に頼まずに僕に頼むようになった。


僕が触って父が「そこ!」というところに刺すと、父はその鍼がどう感じるかを実況してくれた。


治療直後の効果からその後の経過まで、こと細かに教えてくれた。


「鍼ってこんな風に効くんだ。ツボってこうやって探すんだ」


そう思いながら、父への治療で経験を重ね、自分が刺した鍼の効果を不思議とは思わなくなっていった。

父は着々と僕の指と脳に、鍼師としての特殊な回路を構築していった。

我が家は小遣いというものが無く、治療院の手伝いをしたらバイト代がもらえた。

掃除や雪片付けだけでも結構稼げたが、父の治療をすると桁が違った。


「え、こんなにいいの?」


驚く僕に


「人のからだを治す特殊技術だ。そのぐらいの価値はあるよ」


と言って、父は治療代をはずんでくれた。

僕は父の企みにまんまと載せられていった。



4. いきなり大阪へ


父が鍼の研究者になることを期待した姉が、するりと東京の大学の会計学部へ進学してしまい、無言の圧が僕にかかり始めた。


僕は両親の期待に押し出されるように大阪の鍼灸大学に進学した。



「もし子供が鍼灸師になると言い出したら、鍼灸の歴史がある大阪で勉強させよう」


と二人で話していたのだと後で母に聞いた。

東北から大阪まで鍼灸を学びに来る生徒は、僕ぐらいしかいなかった。


「お前んち鍼灸接骨院?」


「いや。鍼灸専門」


「えー、ほんとに。それでやって行けんの?」


と、そこにいた全員が僕を見て驚いた。

どうやら家は、鍼灸の本場でも稀な治療院らしい。


僕は、業界で名の通った先生たちから、ジストニア(頚が曲がる難病)や、

トリガーポイントといった特殊な治療法を教わった。


また、入学と同時に鍼灸学会にも入会させられ、2 か月後には松山の学術大会に一人で行かされた。これには、卒後研修の下見が含まれていたとは気が付かなかった。


父は


「学会には積極的に参加しろ」


とお金を出してくれた。

おかげで毎年全国各地で開かれる学術大会に参加できた。

全日本鍼灸学会でポスター発表をしているみずほ先生
全日本鍼灸学会学術大会(東京、東大に発表の様子)

東京大会では、古典に見る精神疾患について発表した。

福島大会には、父も一緒に参加した。


父は会場内を歩き回って見知った先生に声をかけ


「うちの息子です」


と僕を紹介しまくった。


「もう少し品よくできないものか」


と思いながらしぶしぶ後を付いて回った。

父の先輩が集まる大阪の学会では、懇親会で若い鍼灸師に熱弁を振るう父を見ながら


「君も大変だなー、ありゃ―あと 20 年は元気だな」


と笑われた。

とは言え、父のアドバイスは的確だった。


大学で見聞きすることの裏側を、常に教えてもらっていたので、

同級生が次々と脱落していく中、自分のやるべきことを見失わずに済んだ。


入学前に、腰痛の治療ができる所まで仕込まれていたので、僕の打つ鍼は「痛くない」とクラスメイトに喜ばれた。


「痛くないじゃなくて、治さなきゃ意味ないでしょ」


と僕は思っていたけどね。



5. 危うくセーフ


卒業間際、国家試験の模試で合格ラインを超えていたのがクラスの一握りで、

僕もギリギリだと知った父は、


「過去問を見せろ」


と言ってきた。


「こんなひねくれた問題じゃあ普通に勉強しても受からない。去年の合格率は 7 割を切ってるじゃないか」


と言って父のスイッチが入った。

僕は


「先生が次の合格率はリバウンドで上がるって言ってたよ」


と言うと、


「冗談じゃない。これは、他の医療系大学の合格率と試験問題に合わせてるんだから

傾向はそう変わらない。今から手伝うから必死で試験対策しろ」


と檄を飛ばされた。

薄々不安だった僕にとって、父の参戦は心強かった。


父は 7 年分の過去問から出題予測を立て、膨大なカリキュラムの中から、

重点的に覚えるべきところを僕に送ってきた。


2 か月間の猛特訓で、合格率 57.7 %の中、無事に合格できた。

僕は、すでに入職していた研修先の病院(愛媛県立中央病院漢方内科鍼灸治療室)で

合格を確認し、ホッと胸をなでおろした。


稀に、不合格が分かって退職する人がいると聞いたからだ。


「ほら見ろ、危なかったべ」


と自慢する父の予測問題、

実はことごとく外れていたんだよね。



6. だんじり、ダイビング、母の啖呵(たんか)



写真部に入った。

週末ごとに京都へ通い、町を撮り歩いた。

京都の階段になった道を写した写真
京都の街並み

大学が岸和田(きしわだ)の近くで、僕の町内にもだんじりがあった。

お祭りが近づくとお囃子(はやし)が鳴り、男衆が猛ダッシュでだんじりを引く稽古(けいこ)をしていた。

気性が荒い地域で、自転車を買った店で、「盗まれないように管理は厳重にしろよ」と

念を押された。

お祭り好きな父は


「酒持って町内会にあいさつして、参加させてもらえ」


と勧めてきた。


「あのね、前後の人とぴったりくっついて、猛ダッシュで綱を引っ張るのね。

カーブを曲がるとき弾き出されるか、踏まれるかのどっちかだってよ」


と返したら

父は残念そうに黙った。


その後、僕の様子を見にきた父が、だんじりで死人が出るのを普通に話す地元の人に、


「俺ちょっと、だんじりを甘く見てたな」


と反省していた。


2 年生の時、同級生からスキューバーダイビングに誘われた。

子供のころから潜るのが得意だった僕は、是非やってみたいと思った。

そこで母に相談したら、父が話に割り込んできた。

顔に


「やめろ。アブナイ。金がかかる」


と書いてある。


その表情を見て取った母が、僕の貯金通帳を出してきて、ポンと机の上に放って


「これは瑞穂のお年玉や小遣いを貯めたお金だから、好きに使えば」


と言ってくれた。

父は目を白黒させて、母の顔を見入ったら、


「何?」


と母は父をにらんだ。


「いやー、そのー、海だよ。危なくない?」


と父が言うと、


「息子が自分の意思で危険なことに挑戦したいって言ってるんだ。男になろうっていうのを止めるやつがあるか?」


と啖呵(たんか)を切ってくれた。

僕はダイビングのライセンスを手に入れた。


「米沢で俺にあの啖呵(たんか)を切る人はいない。長州女を惚れ直した」


と後に父が語っていた。

母は肝心なところで僕を後押ししてくれた。


振り返れば、良く学び、よく遊んだ学生生活も終わり、就活の時期に入った。



7. 効かない現実と復活のお遍路


僕は、鍼灸師がフルタイムで研修できる、愛媛と富山と福島の病院を受験させられた。


本命は福島の会津医療センターだったが、最終的に愛媛県立中央病院の(通称:東医研)に合格し研修生となった。

愛媛県立中央病院の外観
愛媛県立中央病院

愛媛の東医研は、父も東京の病院研修を終えた後入りたかったのだそうだが、

当時は地元出身者しか入所できなかったので、


「俺の代わりにしっかり学んで来い」


と送り出された。


東医研は、漢方内科を標榜する総合診療科だった。

医師が 2 名在籍し、鍼灸治療室では 5 ~ 6 名の鍼灸師が研修を受けていた。

治療はお灸と吸い玉による瀉血、灸頭鍼が主で、慢性の難治性疾患を主に診るため、

時系列分析という手法の研究もしていた。


僕は 2 年目まで先輩鍼灸師の助手をしながら、時系列分析に必要な問診や診療を補助し、

3 年目からは新患を担当させてもらった。


また、山岡医師の外来を手伝いながら漢方診療を、角田医師の病棟回診に帯同して

総合診療医の仕事も学ばせてもらった。


原因がよくわからないものや、治療法がない多様な難治性慢性疾患の治療なので、

サクサクと治るケースを見られるわけではなかった。


中にはお灸を根気よくすえることで、改善の方向に向かう症例もあったが、

やはり難治性疾患は東洋医学でも難治だった。


あまり変化が見られないまま、お灸を続ける事への疑問で悩む中、

僕は休みの日を使って、お遍路を巡った。

浄瑠璃寺の御朱印が写った写真
御朱印

気が付くと 3 年間で 57 寺の御朱印が集まっていた。

お遍路をしながら、自分は何をすべきなのか?何ができるのかを考えていたとき、

ふと


「効率に捕らわれすぎてはいないか?」


という問いが浮かんできた。

お遍路はおよそ「効率」とは無縁の行為だ。


それなのに、人は生きる意味や意欲を取り戻していく。

その姿は、良くなることを願って、お灸をすえ続ける患者さんと重なって見える。

お遍路さんは、お大師さまと二人で歩む「同行二人」という思いに支えられて歩く。

ならば、患者さんに寄り添い、お灸をすえ続けることは、

お遍路における


「同行二人」


と同じではないか。


現代医学が効率や成果を社会的責任として追及するのなら、東洋医学は人の幸福を追及して社会的役割を果たせるのではないか。


治らぬ病を抱えたとしても、手間をいとわず、共に重荷を背負ってくれる支えがあれば、

人はもう一度生きる力を取り戻していく。

そう考えると、お灸をすえ続ける行為そのものが、患者さんとともに歩む


「小さなお遍路」


のように思えてきた。



8. ほんとの修業の始まり


そんなエピソードを、正月実家に帰って話したら、


「ミズ、そこまで成長したのなら、十分だ。帰ってこい。次は、鍼灸の良さを発揮する技術をガッツリ教えてやるから」


と父に言われた。


「帰ってこい」


の言葉に気持ちが一瞬緩んだのもつかの間、父が


「実はお前に教えるためのテキストを、10 年前から書き溜めていたんだ」


と言って、分厚いコピーの束をドサッと机に置いた。


「うわー、もう少し愛媛のミカン食べながら、お灸すえていようかなー・・・」


僕が帰郷して 3 年後


「瑞穂君、すっかり落ち着いて治療してるね。患者さんの評判もいいじゃないか」


「ありがとうございます」


「どうやって教えてるの?」


「刺鍼と触診の技術は、子どもの頃から訓練してきたので、キャリアは十分で、

僕と遜色ありません。基礎勉強は大学と病院にお願いしたので、僕は臨床ノウハウを

教えてます」


「水に浮かべた野菜に鍼を通すとか、遠くから眺めてどこが悪いか当てるとかやるの?」


「よくご存じで・・・・んな訳ないでしょ。鍼灸はれっきとした医療です。漫画に描いてあるような知識と技術じゃや開業でやっていけません」


「冗談だよ。先生、いつもそこは、むきになるんだね」


「鍼師のイメージ悪すぎですからね。そりゃあ、むきにもなりますよ。鍼は立派な医療です。だから、臨床教育は、医者を育てるのと同じ手順でやってます」


「というと?」


「診察から治療まで、全部自力でできるようになる訓練です」



9. 問診票の行間を読め!


「まずは、初診の患者さんに書いてもらった問診票から、どこに目を付けて話を聞きだすかを教えていきます」


「どういう事?」


「短時間で問題の核心に迫れる質問がポンポン出てくるようにするんです」


「具体的には?」


「例えば、転んで腰を痛めたとなれば、転んだ時の様子を再現するように聞き出せと教えます」


「それ時間かかるでしょ」


「はい。でも、それによってどこを痛めたか分かって、見落としが減るんですよ」


「患者さんが『痛い』って言ってるところが悪いんじゃないの?」


「外傷直後は興奮していて、感じないことが多いし、加齢による腰痛と違って、

思いのほか壊してることがあるので、シュミレーションは必須なんです」


「なる程、他には?」


「来院する前にかかった病院や治療院があれば、検査、診断、治療、結果を確認します。

また、自分で良くしようと思ってやったことはないかも必ず聞かせます」


「なんで?」


「専門医じゃない診断は当てにならないし、整体で悪化させてるケースもあるし、

自分でいじり過ぎてこじらせてることも多いんですよ」


「そんなところまで確認するの?」


「当然です」


「短時間でそこまでチェックするとなると、頭フル回転だね」


「だから、どういう場合はどこを深堀するかを教えて、メリハリを付けさせるんです」


「先生のことだから、そういうノウハウは山ほどあるんでしょ」


「はい。山ほどあります」


「瑞穂君も大変だね」


「何言ってるんですか、医療は見立てが 9 割なんですよ。それがサクサクできればこそ、

治療に自信をもって当たれるんです。自分が人の役に立つ実感を得られる勉強が、

面白くない訳ないじゃないですか」


「わかったわかった。熱いんだから、この男は」


「済みません。ちょっと興奮しました」


「まあ、そこが先生の良いところだけど、暑苦しいと、ついてこないよ」


「気をつけます」


「じゃあ、そのあとは?」


「来院患者の多い疾患から順に教えて、新患を担当させます」


「何が多いの?」


「腰痛がダントツですね」


「腰痛って言っても、いろいろあるんでしょ?」


「はい。だからまず、“どんな腰痛が待ち受けているのか”をデータをもとに解説します。

さらに、“危険な疾患に気づくサイン”も紹介します。すべて僕自身の経験談付きなので、

強い印象で記憶に残るはずです。」


「先生、そんなに修羅場をくぐってきたの?」


「まあ、いろいろとね(笑)。それから、僕の患者さんの中から、単純なぎっくり腰から複雑な腰痛まで、いくつかの症例を選びます。実際のカルテを使いながら、少しずつ情報を提示して、『何を聞き、何をチェックすべきか』を考えさせるんです。

その上で、診断と治療計画を立てさせ、

最後に“実際にはどういう経過をたどったのか”を明かします。

このシミュレーションを何度も繰り返すことで、実戦感覚が自然に身につくんですよ」


「瑞穂君はそのしごきに耐えたの?」


「はい、まあ・・。実際の症例はドラマみたいで、面白いんですよ」


「そう思ってるのは先生の方じゃないの?。聞いてるとなかなかの訓練だよ。ところで鍼灸師用の臨床教材ってあるの」



10. 面白くなきゃ勉強は進まない


「ないので、全部僕が作りました。これです」



かとう鍼灸院オリジナルテキストの一ページ
腰下肢痛のテキスト

「へー。問答形式か。斬新だね。イラストも多くて読みやすいじゃない」


「工夫したんですよ。最初に作った『臨床総論』のテキストは、大作過ぎて読みづらいって言われて」


「どのぐらい書いたの?」


「A4 版で 250 ぺージ」


「頑張ったね」


「頑張ったんですけどね。その後書いた『頭痛』のテキストも嫌われて、それで次郎さんに相談したじゃないですか」


「そうだっけ?」


「はい。そしたら次郎さんが“初心者向けの導入用テキストが先でしょ”って言ったんで、これを作りました」


「瑞穂君の反応はどうだった?」


「上々でした」


「実は、最近の医者向けの臨床教育書も、問答形式や漫画が増えてるんですよ。

僕はちょっと気負い過ぎてたみたいです」


「で、各論はどこまで踏破したの?」


「急性、慢性腰痛、腰下肢痛(ようかしつう)、股関節痛、頸肩痛、五十肩、膝痛、

頭痛めまい、顔面神経麻痺まで終わりました。これでうちの来院者の 8 割くらいはカバーできると思います」


「先生の作ったテキストなら市販できるんじゃないの?」


「イラストをネットから拝借してるので、ちょっと出せませんね」



11. 手のかかる患者のスイーパー=鍼灸


「もう教えることないんじゃない?」


「いやいや、これからが大変で、脳脊髄神経疾患、救急対応、精神疾患、難病などの

重大疾患が控えています」


「それって鍼灸院に必要なの?」


「うちは、頚髄損傷、筋萎縮性側索硬化症、多系統萎縮、パーキンソン、ジストニア、

うつやパニック、双極性障害、発達障害を抱えた人の心身のケア、そして癌の終末期ケアまで引き受けるので、常に“いざという時”の訓練が必要なんです」


「それも鍼灸院の仕事なの?」


「何言ってるんですか。次郎さんだって脳出血の後遺症で、うちにもう 30 年以上通ってるじゃないですか」


「ははは、自分のことは棚に上げてか。確かに、これだけ長期間体調が安定してるのを、

医者は驚いているし、先生に急場を救われたことあったしね」


「鍼灸って、“現代医学で届かないところを何とかしてくれるんじゃないか”って

思われることが多いんですよ。

一縷(いちる)の望みをかけて受診される方もいます。

正直、病気そのものに対する治療効果で現代医学を超えることはできません。

でも、自律神経系を調整して心身を安定させるので、患者さんが元気になるんですよ。

だから『何かできることはないか』と頼って来られたら、

できる限り応えるようにしています」


「まあ確かに、俺がその生き証人だね。鍼の後は体のこわばりが取れて楽になるし、

先生との会話もいい気晴らしになる。それに瑞穂君の成長を眺めるのも楽しみだ」


「ただ、それを引き受けると、どうしても命にかかわる急変が付きまとうので、

それなりの準備が必要なんですよ」


「先生がそうやって見張っててくれるから、こっちも面倒な身体を任せられるんだよね」


「まあ、これまで数多の修羅場をくぐってきたので、その経験を活かした教育ができればと思っています」


「新患は、だいぶ任せられるようになったの?」


「はい。軌道に乗るまでは僕が診察に同席して、足りない所を文書で渡していましたが、

最近はほとんど口を出す必要がなくなりました」



12. リミッターを外せ


「先生、これから何したいの?」


「まずは臨床実験を重ねていこうと思っています。幸か不幸か、僕らも歳相応にガタが来ているので、治療効果を確かめるには、うってつけなんですよ。

昨年は僕の帯状疱疹(ほうしん)にお灸が驚くほど効くことを確認できたし、

瑞穂のおできも、お灸できれいに治して自信になりました。

いずれはエコーを導入して、体の中を見ながら治療しようと、3D 解剖を勉強中です」


「やることがいっぱいだね」


「好きなんですよ。鍼灸は、生理作用を上手に利用して体調を整える、ほんとうに賢い治療法なんです。エコだし、SDGs だし、素晴らしい自然療法ですよ。

残念ながら、日本では社会的に活用することを躊躇(ちゅうちょ)していますが、

世界では鍼灸の活用が進んでいます。

瑞穂が独り立ちしたら、世界へ向けて情報発信してみようと思っています」


「大きく出たねー。でも、今は翻訳機も進んだし、ネット会議もできるし、

AI もサポートをしてくれる時代だからね・・・。

瑞穂君。

お父さんが世界に羽ばたきたいって言ってるけど、どうよ?」


「うーん、オヤジの半端ない熱量の話を聞ける人が、家族以外いないんですよね。

でもまあ、ニカラグアで鍼灸大学の学長になってる先輩もいるし、アメリカで開業している後輩も何人かいて、オーストラリアから見学に来た鍼灸師も現地で活躍してるから、目立ちたいオヤジの次なる目標としては、いいんじゃないですか。

ただし僕に手伝えとは言わないでね」


「ははは。やっぱり息子はちゃんと見てるね。」

 
 
 

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