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再発を繰り返す顔面神経麻痺|7年間の鍼治療が支えた一人の女性の物語

  • 14 時間前
  • 読了時間: 6分
晴れた日の朝、玄関先でホウキとチリトリを持って笑顔で掃除をするエプロン姿の若い女性
毎朝、家の前を掃除していた憧れのお嫁さん。その小さな背中が、すべての物語の始まりでした。

“向かいのお嫁さん”

道路を挟んだ向かいの家にお嫁さんが来た。当時高校生だった私は、自分の部屋の窓から毎朝家の前を掃除するお嫁さんの姿をまぶしく眺めていた。小柄で可愛い人だった。

しばらくして赤ちゃんが生まれた。幸せそうな家族の姿がそこにあった。


20年後、鍼灸師となった私のもとに訪れた少女

20年後、私は鍼灸師となり開業した。そこにあの時生まれた子が顔の半分をゆがめて治療を請うてきた。慢性化した顔面神経麻痺だった。すでに発症から2年が経過し、大学病院で星状神経ブロックを繰り返すも良くならず、鍼で何とかならないものかと母親に付き添われての来院だった。


陳旧化した顔面神経麻痺に挑んだわけ

母親譲りの整った面立ち故に、動きの悪い左の顔が痛々しかった。 2年の歳月からして回復は難しかったが、すがるような眼で見つめる姿と、赤ん坊の頃の記憶が重なり、その子に常識的な説得などできなかった。私は一縷の可能性にかけてみることにした。それから7年間、毎週彼女は根気よく治療に通ってきた。


再び動き出した筋肉

私の恩師は、顔面神経麻痺の鍼治療を研究する医者だった。私はその指導を受け、臨床経験は多いほうだった。しかし、彼女のようなケースがどこまで改善しうるのかはわからなかった。

さらに、従来の治療パターンでは、彼女の希望を満たすには大雑把すぎた。そこで、細くて短い特殊な鍼を使って電気を流し、一つ一つの表情筋を動かすモーターポイントを見つけ出していった。非常にゆっくりではあるが、眠っていた彼女の表情が戻り始めた。


試される再発の試練

数年したところで、彼女が風邪をひき、麻痺が再発した。私にとってそんな経験は初めてだった。積み上げた石を鬼に崩された思いだったが、彼女の絶望を思えば、私が落ち込んでいる訳にはいかなかった。

2度目の発症後の回復は、明らかに遅かった。根競べの治療が続く中、なんと3度目の再発に襲われた。

「こんなことがあるのか?なぜこの子ばかりがこんな目に?」

文献をあさり、まれに再発を繰り返す顔面神経麻痺があることを知った。麻痺した筋を動かすことばかりに傾注するのをやめ、免疫力を高めようとお灸を増やした。

すると、引っかかっていたものが外れたかのような感じで、それまでにない速さで、麻痺の回復が見られた。黙っている分には、大きなゆがみは感じられないが、笑ったりすると、左右差が目立つ。そんなところまではこぎつけた。


「治せない病気」と向き合う治療者の覚悟

治せない病気もある。それを受け入れさせたうえで生きていけるように諭すことも治療者の大事な仕事になる。漫然と患者が諦める日を待つのではなく、現実から逃れられない患者と共に苦しみながら力を尽くし続けることで患者の孤独を和らげ、病気と共に生きていくことを覚悟させるのだ。つらく苦しい仕事である。


彼女の心の成長と、母親から届いた報告

現実を受け入れられずに苦しみ続ける彼女に、私は7年間いろんな話をした。

時々お母さんから電話があり、「娘が鍼の先生にこんな話を聞いてきたと嬉しそうに家で話してくれる。少しずつ成長しているようだ」と報告を頂いた。


途切れない恋人、しかし壊してしまう縁談

元が美人なので、顔の麻痺があっても彼氏が途切れることはなかった。

ところが、求婚されると決まって彼女から話を壊してしまった。

繰り返す出会いと別れの訳を、私は彼女に尋ねた。

白い背景に、黒いハサミと、切断された赤い一本の糸。右側には複雑に絡まった赤い糸の塊がある。
絡まった心と病。一筋縄ではいかない歳月の中で、私たちは共に「現実」と向き合い続けました。

誰にも言えなかった“結婚式への恐怖”

暫しの沈黙の後、彼女は誰にも明かさなかった胸の内を話してくれた。

「結婚式の時にケーキ入刀があるでしょ。司会者が『カメラをお持ちの方はどうぞ前に出て二人の世紀の瞬間をカメラにお収めください』とアナウンスするでしょ。私の歪んだ顔が沢山の人のカメラに残るのよ。それにどうしても耐えられないの」

乙女心とはこういうものなのか。


家族の葛藤と、鍼治療がもたらした心の安らぎ

家では、両親と口論が続いた時期もあったようだ。彼女が顔の麻痺にこだわり続けて先に行けなくなっている事を、両親はとても心配していた。しかし、あまりにも顔にこだわり続ける娘を、腫れ物のように扱うしかなかった。

そんな状況の中、鍼治療から帰って来た時は、決まって表情が明るくなり、楽しそうに私から聞いた話をすることに両親は安堵していたと言う。誰もが彼女の問題はもはや顔の麻痺ではなく、病気にとらわれた心にあることは分かっていた。ただそこからどうやって解放してあげたら良いのか分からないでいた。


ようやく訪れた治療終了の日-「私結婚します」

治療を始めて7年の月日が経ったある日。彼女から「結婚することになった」と聞かされた。そして「治療は結婚式の間際まで続けたら終わりにしたい」と言ってきた。

とうとう彼女の心を動かす男性が現れたのだ。


支えていたものの重み

その彼から「僕が君の病気のことは気にしないと言っているのに、なぜまだ鍼に通い続けるんだい?」 と言われた時、彼女はこう言い返したという。

「私がこれまで生きて来れたのは、鍼の先生がいてくれたからよ」

自分が夢中で支えていたものの重みをこの時初めて知った。


ガーデンウエディングで迎えた晴れの日

その頃ガーデンウエディングができる結婚式場がオープンした。彼女はそこの第1号のお客になった。そして私も式に招待された。ウエディングドレスに身を包んだ彼女の美しさを窓の外に広がる庭の緑がいっそう際だたせた。

きれいに治してあげられなかった私が上座の方に座らされて居づらくしていると、花嫁の母親から声をかけられた。

青いスーツの男性の隣で、白いウェディングドレスを着てアンティークカラーのブーケを持つ花嫁の横顔。
「大丈夫、きれいだよ」。その一言が、7年間の葛藤を美しい笑顔へと変えた瞬間。

花嫁の両親が語った“本当の危機”

「ようやくこの日を迎えられました。これも先生のお陰です。一時は娘を亡くすかと思いました」と言われ、事態が切迫していたことを知らされた。

私にとっては「近所のお兄ちゃん」だった父親からも声をかけられた。

「お前には助けられたよ」彼のその言葉から、家族で起こっていた騒動の大変さを知った。

結果の出ない治療。逃げ場のない中で、「これでいいのか?」と自問自答しながら苦しんできた7年間が間違ってはいなかったと知らされた。


ケーキ入刀に怯える花嫁

宴は進み、とうとうケーキ入刀の時が近づいてきた。まだ歪みが残る顔で生きていく事を決意したとは言え、彼女の心の中ではこの瞬間に対する恐怖はまだくすぶっていた。次第に彼女の顔から笑顔が消え、にこりともしない新婦に会場の空気が変わった。


治療の仕上げー「大丈夫。きれいだよ」

「まずい。彼女の本心を知っているのは私だけだ。」

私はとっさにビール瓶を持って立ち上がり、新婦に近づいてそっと耳元でささやいた。

「大丈夫。きれいだよ」

新婦はほっとした表情でほほえんだ。途端に会場の空気が和み、思い出に残る結婚式となった。

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