膝の解剖をしてわかった「骨がすり減る」の意味
- 2025年11月5日
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「膝が痛いのは骨がすり減ったからだ」とよく耳にしますが、 実際には、骨ではなく軟骨や半月板が削れて痛みや腫れをひき起こしています。
でも、鍼灸師が実際にその変化を目にする機会はほとんどありません。
私は幸運にも膝関節の解剖をさせていただくチャンスを得て、その加齢変化をつぶさに観察することができました。1990年のことです。
これはその時の様子です。
1. 膝の解剖実習に臨む覚悟
「わかりました。では、献体の足を太ももから切断して、加藤さんが膝の解剖をやりやすいようにしましょう。27体すべてそうしますが、良いですか?」
その瞬間、どれだけ真剣に、献体と向き合う覚悟があるのか試されているのだと、鳥肌を立てながら私は悟った。
ここで尻込みなどできない。
チャンスを下さった教授に対しても、献体された方々に対しても、それは非礼だ。
私は覚悟を決めて返事した。
「ありがとうございます。では、次回までに下調べをして来ます。せっかくの機会なので、見たものを写真に収めてもいいですか」
「結構ですよ。撮影はご自分でなさいますか」と教授はおっしゃった。
「仕事が休みの日に家内に来てもらって、手伝わせようと思うのですが、構いませんか」
「奥さんも鍼灸師でしたね。では、お二人が出入りできるように手続きしておきましょう」そう言って、教授は私たちに学びの機会を与えてくれた。
2. 突然解剖実習のチャンスが巡ってきた
私はずっと解剖がしたかった。
いや、しなけらばならないと強く思っていた。
鍼は、まぎれもなく医療だ。
安全に行うには、どんな組織に鍼を刺しているのかを知っていなければならない。
なのに、鍼灸師には解剖実習のチャンスはなく、単に、ホルマリン固定された内臓を遺体から取り出して、見せられるだけだった。
病院研修の間、何度も病理解剖に立ち会った。
あらゆる手術も見学した。
けれど、私が触れることは当然許されなかった。
そのもどかしさが、私の中で積もっていた。
チャンスは突然やってきた。
鍼灸師の資格が県知事免許から大臣免許へと格上げされたことを機に、大規模な補講が行われたのだ。
解剖講義の最終日に、講師の山形大学教授が「希望者の見学を受け入れる」と言ってくれたのだ。
私は躊躇なく教授の元に駆け寄り見学を申し入れた。
3. とことん観察させてもらいなさい
実習室には27体のご遺体が並び、学生が5人ずつそれを囲んでいた。
教科書をめくる者、メスを持つ者、ノートを付ける者と、役割を決めて作業している。
私は喉から手が出るほど遺体に触れたい気持ちを抑えて、じっと医学生たちの手元を見つめていた。

そんな私の気持ちを見抜いたかのように、「どこか見たいところはありますか?」と教授が声をかけてくれた。
「いやー、学生さんの邪魔はできないですから」と私は遠慮したが、
「献体された方のご遺志に報いるため、多くの人に学んでいただきたいんですよ」と言う教授の言葉で、私の心に火が付いた。
「それでは、膝を見せていただけないでしょうか」
医学部の実習では内臓の観察が中心のため、下肢はほぼ手つかずなのを見越して、私は教授にそう申し出た。
それに対する教授の返事が、冒頭に紹介したものだった。
4. 膝変性の所見を写真に記録する
興奮しながら帰宅した私は、この日のために買っておいた南山堂の「解剖実習の手引き」を引っ張り出して解剖の手順を確認した。
解剖には手順と言うものがある、それを踏まえて切り進まないと、遺体がめちゃめちゃになって、正確な観察ができなくなる。
観察ポイントは、膝の加齢変化にしよう。
同じアングルでとった写真を、年代順に並べて比較してみるのが良いだろう。
そんな準備をして、私の膝の解剖実習は始まった。
5. 膝軟骨の変性所見を年代順に並べる
27の献体は、50代から90代まで年齢に偏りがなかった。
膝の皿の上10センチの所から切り始めると関節腔が現れる。
膝の皿ごと大腿四頭筋を反転すると膝の中があらわになる。
そして、興味深い所見が次々と現れた。
教授は、わざわざ整形外科の専門医を招いて、私に質問する機会を2度も与えて下さった。
さらに、遺骨を遺族に返される際に、私のお願いした質問を、遺族から聴取して下さった。
おかげで、膝の変形と生前の様子を突き合せることができた。
最終的に、加齢による変性と変形が、どのように進むのかを一覧できる写真集が出来上がった。
関節の中は硬い骨の表面を軟骨が覆ったうえに、半月板といわれる軟骨の板がクッションの役目を果たしている。
個人差はあるが、年齢とともにこれがすり減っていく様子がはっきりと見て取れた。
これで、膝や関節に関する医学書の記載がリアルに理解できるようになり、膝を触診すると、その下がどうなっているのか想像できるようになった。
この時作ったアルバムは、今も現役で患者さんへの説明に活躍している。
6. 解剖の経験がもたらす触診力の向上
私は自分の経験を大阪で先輩に話したら、「何故田舎のお前が、俺たちを出し抜いてそんなことができるのか?」と驚かれた。
そして、この実習から8年後、鍼灸師向けの解剖書が大阪から刊行された。
私の恩師が序文を寄せ、同門の先輩たちが関わっていた。
その本を手にして、自分の考えが追認されたような喜びを覚えた。
やっぱり鍼灸師には解剖実習が必要だ。
目の見えない同業者も、直接体の中を触る体験は、きっと役に立つと直感した私は、盲の同業者にも実習の機会を与えてほしいと教授にお願いし、有志を募って実習を実施した。
7. オリジナルの膝解剖写真集が完成
山大での解剖実習の間は、傍に寝る家内の首が転がったり、人の手を私がかじっている夢にうなされた。
また、天井がぐるぐる回るめまいを起こし、2日間動けないこともあった。
ようやくアルバムができて、解剖教室に納めに行ったとき、私たちは供養塔に献花して手を合せ、気持ちの区切りをつけた。
以来、悪夢を見なくなるのと引き換えに、ホルマリンの臭いが、耐えがたいと感じるようになった。
長年の望みが叶い、医学学習最初の関門の「人体解剖」を、ようやく済ませることができた。
この経験が、後の臨床における「気づきと発見の土台」になったのは、言うまでもない。
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